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2019.11.21

【理事長インタビュー】私の医師キャリアのスタート~ファミクリ開業までの話

こんにちは、事務局長の清水です。

今回を理事長ブログの記念すべき第1回として、医療法人社団 双愛会 理事長の伊谷野先生にインタビュー形式でブログ記事を作成していければと思います。

長続きさせていきたい企画なので、ランチなどで不定期にゆる~く始めさせてください。笑

それでは、伊谷野先生よろしくお願いいたします。

▼伊谷野先生のインタビューはこちらから
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ーーーー伊谷野先生、まずは医師になった最初のキャリアから教えてください

伊谷野:
懐かしいですね。笑
1998年に昭和大学医学部卒業後、昭和大学医学部第一外科学胸部心臓血管外科に所属したところからキャリアがスタートしました。

正直、ジェネラリストになるのかーーー、はたまたスペシャリストなのかーーー、非常に迷いましたが、体力のあるうちにとことん急性期医療に携わろうと考えて、外科の道を歩むことを決断しました。

ーーーー心臓血管外科はかなりハードと聞きますよね。実際はどうだったのでしょうか?

伊谷野:
はい、かなりハードでしたね。。正直、家庭を犠牲にして没頭していました。
それでもハードな分、仕事を重ねれば重ねるほど技術が上がります。
自分の成長を実感することができ、緊張感がありながらも毎日が充実していたとも言えますよ。

ただ一方で、一般外科を研鑽し、次は胸部外科を、次は心臓血管外科を、、と専門を追求していけばいくほど、年月が経過すればするほどに、次第に扱う領域が狭く絞り込まれていく。
技術を磨けば磨くほど、専門性が深堀りされていくことになります。

それは該当する病気の患者さんのためには力を発揮することができますが、自分の専門以外の病気にはどんどん関われなくなっていくことにもつながります。
「多くの人の役に立ちたいと思って医療の世界に入ったのに…」というジレンマもよぎるようになってきて、当初の考えからギャップが大きくなっていくことも感じていたんですよね。

このままスペシャリストの道を究めて突き抜けていくのか、それとも一般的な診療もこなすジェネラリストへと方向転換するのかーーー。
改めて考えた末、ジェネラリストの道を捨てきれずにメスを置くことを決断しました。

ーーーー30代前半~半ばにかけての決断ですよね?そして当時はまだまだ歴史の浅い在宅医療。結構思い切りましたよね?

伊谷野:
まー、やってみないとわかりませんからね。
2000年に介護保険制度が始まったのをきっかけに、在宅医療が注目されるようになりました。
とはいえ、それをやるクリニックは、私が開業した2005年当時、極端に少なかったです。

なぜなら、在宅医療に携わるには、基本的には病院と同じ体制、つまり365日24時間対応する必要があり、そう簡単には個人創業できないからです。

ただ、流れとしては在宅医療に向かっていくことが国の方針としても示されていました。
一般外来クリニックを始めても、結局は何らかの専門に特化しないと地域に選ばれないかもしれないーーー。
それなら、総合的医療に携わることのできる在宅医療でいこうと思ったのです。

24時間体制については、「今までの外科時代でハードな勤務を積み重ねてきたし、緊急対応も頻繁に行っていたので、自分一人でもなんとかなるかな」と、つまり今までの経験と気合いでなんとかしようとスタートを切りました。

ーーーー開業スタートはどんな感じでしたか?例えば病院勤務医時代との違いはいかがですか?

伊谷野:
在宅医療を始めて、気づいたことがありました。
それは、在宅医療には、救命救急や外科で患者さまが劇的に良くなることと引けをとらない『やりがい』があるということです。

在宅医療は、自分のした努力に対して患者さまやご家族様からの反応がダイレクトに返ってきます。
病院の外科医時代と比較して感謝の気持ちが伝わってくる数と温度感が桁違いだと感じたんです。

これは医師として、素直に嬉しいことですし、日々の診療の励みになりました。

患者さまやご家族様との距離が断然近いという点は、やはり実際にやってみないとわからないものでしたね。

ーーーーなるほど。良い話ですね~。今回はここまでにして、また色々とテーマを考えますのでインタビューさせてください。

伊谷野:
ありがとうございました。
私も話したいテーマを考えておきます。